「国家神道」を宗教ではないとする説と宗教であるとする説がある。非宗教説は、敬神を国民の義務とし、この義務は道徳の範疇にあるので、神社・軍隊・学校・官公庁などにおける敬神は宗教ではないとする説である。宗教説はこれを詭弁とするものである。
菱木政晴は世界には言語による教義表現を軽視する宗教もあり、比較宗教学や文化人類学の成果をもちいることによって困難なく抽出可能であるとして以下のようにまとめている。
聖戦 - 自国の戦闘行為は常に正しく、それに参加することは崇高な義務である。
英霊 - そうした戦闘に従事して死ねば神になる。そのために死んだ者をまつる。
顕彰 - それ(英霊)を模範とし、それに見習って後につづけ。
そして、「顕彰教義に埋め込まれた侵略への動員という政治目的を、聖戦教義・英霊教義の宗教的トリックで粉飾するもの」と指摘している。また、国家神道の教義の中心を「天皇現人神思想」や「万世一系思想」とする意見もある。
柳川啓一は「国家神道は明確な教義を有していた」として以下の4点を挙げている。
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天皇は、神話的祖先である天照大神から万世一系の血統をつぐ神の子孫であり、自ら現御神(あきつみかみ)である。
『古事記』、『日本書紀』の神話の国土の形成、天壌無窮の神勅にみえるように、日本は特別に神の保護を受けた神国である。
日本は世界を救済する使命がある。他国への進出は聖戦として意味づけられた。
道徳の面においては、天皇は親であり、臣民は子であるから、天皇への忠は孝ともなるという忠孝一本説。
江戸時代、会津藩や岡山藩、水戸藩、長州藩、津和野藩では、批判論が出るなどの議論が続く中で、小祠や淫祠の廃止・統合がおこなわれていた。このうち、水戸藩の神社合祀政策を特に「八幡改め」と称した。これは旧支配者佐竹氏が尊崇した八幡神社を破壊し、みずから崇拝する鹿島神宮に置き換える運動である。